汽 船 号
    明 治 前 期


江戸時代に発生した、海運業界独自の広告印刷物。

海運会社は自社就航船を「船号録」として、和紙に木版刷りで表記し、海運貨客を取り扱う回船問屋や回漕業者の店頭に貼り出しました。
これを船号表(汽船号)と呼びます。
後に西洋式ポスターへと形態を変えていく迄の広告ポスター前史に置位します。



■(1)郵便汽船三菱会社汽船号  1877(明治10)年頃
      京都 山口幸助回漕店


明治維新当時の海運主力は、まだ日本型帆船(廻船)であったが開港と同時に欧米の船会社が日本の沿岸に進入してくる。この状況を憂慮した新政府は汽船の導入と海運の保護育成に努め、貿易に視点を置いた近代化を進めてゆく。
そんな中で生まれた三菱会社は政府の保護を受け、国内主要航路を独占。又、明治8年には日本最初の海外定期航路になる横浜〜上海線を開設し、競合する米PML社と英P&O社を退ける等、急成長していきます。



■(2)日本郵船会社汽船号  1890〜1900(明治23〜42)年頃
      大阪  平井合資会社





急成長する三菱会社の海運支配に対抗する勢力が生まれ明治15年に共同運輸が設立される。
両者は激しく競争するが明治18年に合併し、ここに新しく日本郵船が誕生する。日本の汽船の7割以上を有し、全国に航路網と代理店を置く最大規模の海運会社となっていきます。




■(3)三度組船号  1898(明治40)年頃
     京都  三度組運送本店


洋式汽船がそれまでの和船主要航路に進入してくる一方で、在来の廻船は改良を加えて、不定期航路で活動を続ける。有力な回漕業者は、大手とは別に独自の航路を組み、運送業者として貨客を取り扱い、自社の船号も作りました。



■(4)大阪商船会社船名一覧表  1885(明治18)年
      大阪江戸堀摺物師 曽川為七発行


西南戦争による船腹需要が阪神間に高まり、中小船主が乱立するが戦後は一変し、激しい過当競争となった。
これを一社に船主集約して明治17年に大阪商船が設立されます。 老旧船の船質改善補助を受け航路を拡大し、日清戦争後の植民地経営や移民政策に深く関わりながら成長してゆく。



■(5)引札


江戸期から明治に入り、 商業主義の発展に伴って、 各種の業者から市中に配布された広告宣伝の印刷物で、 あらかじめ描かれた吉祥図柄の上に宣伝文句を入れた。

千石船はその代表的なモチーフの一つでした。




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